(2014.10.16 Amebaブログより)

あまり簡単にまとめてしまうといけないのかもしれませんが、私たちの仕事は、相談者や依頼者の方の抱えている問題を聞き出し、求める結論に向かって代理人として法律事務を遂行し、事件を解決すること…というのが大枠かなと思います。

ただ、この「解決」という言葉と現実の間にはギャップがあります。

というのも、弁護士が直接に解決することができるのは法律問題にすぎず、代理して取り扱えるのも法的手続にすぎませんので、依頼者の方の抱えている問題を根こそぎ解決することまではできないという限界があるからです。
紛争は依頼者の抱える状態であると同時に依頼者の中にある「持ちもの」みたいなもので、「他人がその方の持ちものの中にまで手を突っ込んできれいに解決してあげる」というようなことはできませんし、そのようなことができると考えること自体おこがましい、と思えてきます。

弁護士の仕事は、交渉が立ち行かなくなったときや、取るべき法的手続き(裁判など)が尽きたときには、ひとたび終わりになります。
でも、相談者依頼者にとっては、訴訟に勝つ、訴訟に敗ける、という結果が出たところで、必ずしも解決はしません(訴訟には勝っていても、結果に満足いかないということは割とありますし、そうすると、心理的には事件は全然解決しないことになります。敗けてしまうと、それ以上手続きが取れないため、法的問題としてはそれで終わりにせざるを得ませんし、弁護士の業務は終わりますが、相談者依頼者の方の問題は解決しないままになります。)。

そうすると、結局、純粋な法律事務の成果と依頼者の問題が解決することは、当然にイコールの関係に立つものではなく、問題解決のためには、別の軸が必要だということです。

多くの弁護士は、法律事務を取り扱う過程で依頼者の話をよく聴いたり、共感したら、勇気付けたり、言い分を効果的に伝えたり、相手を説得したりというプロセス全体を通じて、法的な意味での事件の成果にコミットしながら、依頼者のストレスや精神的負担の緩和したり、トラブルについての受け止め方を変えてもらったり、交渉を通じて相手の立場を理解するきっかけを与えたり、人生全体の中で紛争の意味を捉えてもらったりして、依頼者が問題を自ら解決していくのをガイドすることで、依頼者のする問題解決を支えているのだと思います。

紛争は依頼者のものであって、紛争を解決しているのも依頼者自身であって弁護士ではない、ということです。

もちろん、広く捉えれば、弁護士は「紛争解決サービスを提供している」といってもいいのかもしれませんが、弁護士が解決しまっせ!というようなことではないという自重が必要ですね。

こういうことをグルグルと考えていて、わたしは、解決という言葉の「解」という部分に重きがあると思うようになりました。

私たちの仕事の目標は、依頼者が「解ける」という状態を手に入れられるよう助けることじゃないかと思います。

「解ける」とは、

①結んであったものが、自然とはなれたりゆるんだりする。ほどける。

②束縛から解放されて自由になる。命令や規制などが解除される。

③㋐心のわだかまり、不快に思う気持ちなどが消えてなくなる。
 ㋑心のへだたりがなくなる。うちとける。

らしいです。

わたしは妙にしっくりきました。

仕事を通じて、依頼者の方にこういう状態になっていただき、人生の次のステップを踏めるように、お手伝いしたいなと、また、思いをあらたにしてます。